日本は世界有数の降水量を誇る「豊かな水の国」とされていますが実は隠れた水不足の問題を抱えていますが、日常生活を送るうえで日本が水に困る国だと実感できる人はほとんどいないのではないでしょうか。この意識の差は地球温暖化や世界人口増加によって近く訪れるとされる世界的な水不足に対する備えを怠らせる結果に繋がるかもしれません。
一見すると日本は確かに水資源が豊富な国ですが「バーチャルウォーター」の概念を取り入れて日本を取り巻く水資源を俯瞰してみると、日本も水不足に悩まされる候補者の一人であると気付かされます。この記事では日本の「隠れた水不足」について考えると同時に、水効率化技術、水処理、インフラ整備といった分野のソリューションを提供する水道公益事業者や水関連テクノロジー企業を考えてみます。
##日本の水資源パラドックス
一般的に「水が豊かな国」とされる日本のイメージがありますが、食料輸入を通じて国内の年間水使用量に匹敵する規模の水を海外に依存しているという実態があります。
日本は世界でも有数の多雨地帯であり世界の平均降水量の約1.4倍となっています。降水量がすべて利用可能な水資源となるわけではなく、蒸発散によって大気中に戻る水量を差し引いて理論上利用できる水資源量(=水資源賦存量)は約4,300億立方メートルとされています。
単位面積当たりの降水量が世界的に多いため水資源賦存量も世界的には大きいと言えるのですが、実は人口一人当たり年平均降水総量として考えてみると人口が多い国ということもあり世界平均の25%程度しかありません。そして国土の多くを占める山岳地形により降った雨は速やかに海へ流出しており、有効活用できている水資源はかなり少ないというのが実情です。
国土交通省の資料によれば日本は2019年に水資源賦存量の内で実際に利用できたのは約20%であり、その過半は農業用水として使用されています。このことは日本国内の水資源の需給は農業が支配的な要素であり、農業セクターの動向が将来の需給を左右すると言えます。
現在の水使用量は理論上利用可能な水資源賦存量の2割弱に留まっており、一見すると大きな余裕があるように見えます。しかし、この「余裕」が後述するバーチャルウォーター輸入分を吸収できるほどの規模なのかというとそう話は簡単ではありません。
###バーチャルウォーターという見えざる生命線
バーチャルウォーターとは、食料や工業製品を輸入する国がもしその輸入品を自国で生産すると仮定した場合に、必要となる水の量を推定したものです。食料の輸入が形を変えてその生産地の水を輸入していることと等価であるという考え方です。
日本はご存じの通り食料の多くを海外からの輸入に依存しており、その食料生産に必要な膨大な量の水を自国で消費せずに済んでいます。食料自給率と引き換えに水の節約を行っているとも言えます。
環境省の推計では2005年に海外から日本に輸入されたバーチャルウォーター量は約800億立方メートルとされています。この800億立方メートルの水資源は、上述した日本の年間総水使用量とほぼ同量です。これは、日本人が日々の生活や経済活動で利用している水の量と、ほぼ同じ量の水を食料輸入という形で海外の水資源に依存していることを意味しています。
牛肉1kgを生産するのに必要な水は約20,600リットルとされており、家庭の浴槽100杯分を超えます。牛肉など欧米型食生活を支える食料は、主要な生産国であるアメリカ、オーストラリアなどの広大な土地と豊富な水資源を前提としており、日本の食生活はこれらの国々の水資源に支えられているのが現実です。そして牛を育てるための飼料として利用されるトウモロコシもまたアメリカが主要な生産国であり、アメリカ中西部の干ばつは日本の食料供給と水供給に対する地政学的リスクを内包していることを示しています。
##食料生産の国内回帰を考える
「現在輸入に頼っている主要な食料をすべて国内で生産した場合、どれだけの追加的な水需要が発生し、それは国内の水資源で賄うことが可能なのか」を考えてみると日本のバーチャルウォーター依存の深刻度が分かります。
- 牛肉の国内生産に必要な追加水量:約128億立方メートル
- 豚肉の国内生産に必要な追加水量:約54億立方メートル
- 大豆の国内生産に必要な追加水量:約79億立方メートル
- トウモロコシの国内生産に必要な追加水量:約288億立方メートル
これら主要4品目だけで約549億の水の追加需要が発生します。現在の日本の農業用水使用量を丸ごと1つ追加するに等しい規模です。さらに小麦やその他の穀物といった他の輸入品も考慮すると環境省が推計した約800億立方メートルに近い数値となります。
食料輸入を国内生産で代替しようとすれば国内の総水使用量とほぼ同量の水が新たに追加で必要となり、水資源賦存量に対して現行の約20%から約40%へ跳ね上がります。これは食料生産の完全な国内回帰が、水資源の観点から見て実現不可能であることを示しています。
水資源利用率が40%を超えると「水ストレスが深刻な状態」と定義されており、このシミュレーションシナリオは日本をその危険水域の瀬戸際にまで追い込むことを意味します。さらに、この計算はあくまで平年値を基にしており、渇水年には水資源賦存量が2割以上減少することを考慮すると、より壊滅的な水不足を引き起こす可能性が高いです。生態系は破壊され、農業、工業、そして都市生活者の間で、水をめぐる深刻な競合が発生することは避けられません。
つまり日本のバーチャルウォーター輸入は単なる経済的効率性の追求の結果ではなく、国の存続を支えるための構造的な必然であるということです。
さて、日本の水資源が実は全く手放しで安心できる状態ではなく重要な国家安全保障上の課題であることが分かったところで、思わぬところで密接に結びついている水問題について持続可能な水利用を支えるグローバルな水関連市場の成長についてみてみましょう。
##アメリカ水市場
視点を日本の課題から、その解決策を提供するグローバルな市場へと転換すると技術革新と投資のハブとして機能するアメリカの関連市場に行きつきます。
アメリカの水・廃水処理市場は、巨大かつ成長を続ける産業であり、2024年の市場規模は640億ドルから1,130億ドルともいわれています。2034年までに1,237.6億ドル規模にまで拡大するとの予測もあり、年平均成長率6.9%での成長が見込まれています。
###成長を期待できるセグメント
米国の用途別水市場は、大きく自治体向けと産業向けの2つに大別されます。市場規模では自治体向けが大きいですが、成長性では産業向けセグメントが期待値が大きいです。中でも冷却水を大量に必要とする電力セクターや製造業などにおいて、より厳格な水質基準や排水規制が適用される傾向にあり、これが高度な水処理技術への投資を呼び込む期待があります。
機器別でみると膜分離技術が大きく、高度なろ過技術が、汚染物質の除去や海水淡水化において中心的な役割を果たしていることが分かります。保守などを含むサービスの領域も構成要素として大きく、老朽化した既存施設のアップグレード需要が続く限り、堅調な成長が見込めます。
水市場の成長は一過性ではなく、長期的かつ構造的な3つの要素が後押ししています。
- 老朽化するインフラ:アメリカでは水道管の破裂が2分に1回の頻度で発生し、1日あたり60億ガロンの処理水が失われています。この状況を是正するためには今後20年間にわたって年間1,090億ドルの投資が必要だと試算されています。
- 厳格化する規制:環境保護庁による規制強化は、市場を活性化させます。自然界でほとんど分解されることがなく「永遠の化学物質」と呼ばれるPFASに対する新たな国家飲料水基準の導入は、高度な処理技術への投資を法的に義務付けるものです。
- 気候変動ストレスと水不足:降雨パターンの変化や干ばつの頻発化を通じて、気候変動は水資源の供給に大きなストレスを与えています。アメリカ西部では2050年までに水供給が最大20%減少するとの予測もあり、海水淡水化や廃水再利用といった代替水源を確保するための技術やインフラへの投資を後押しします。
これらの3つのドライバーがそれぞれが独立していると同時に相互に関連し合っており、経済の景気循環には比較的連動しない持続的な成長の土台を形成すると考えられます。生活に不可欠なサービスを提供するディフェンシブな性質と、技術革新によって新たな需要が創出されるグロース的な性質を併せ持つ、ユニークで魅力的な投資セクターと言えるかもしれません。
###高成長テクノロジー分野
####海水淡水化
水不足への最も有望な解決策の1つであり、2032年から2036年にかけて約210億ドルから360億ドル規模に達するとの予測があります。
現在の主流技術は、逆浸透膜法で支配的な地位を占めていますが大きな課題もあります。1つは大量のエネルギーを消費すること、一つは淡水化後に残る高濃度の塩水の環境への影響です。エネルギー消費を削減する装置や、より効率的な逆浸透膜を開発する企業、そして環境負荷の低い塩水処理技術を持つ企業を見つけることができれば、大きな利益が見込めます。
####PFAS問題
PFASろ過市場はCAGRは約6-7%が見込まれており、除去技術としては活性炭吸着、イオン交換樹脂、逆浸透膜がありますがいずれもコストや処理効率に課題があります。
####スマートウォーター
水インフラのデジタルトランスフォーメーションはトレンドです。IoTデバイス、AIを活用して水供給システム全体をスマート化する取り組みにより、リアルタイムでの水使用量の監視や事故予測が可能となり、水資源の最適化と運用コストの削減を実現します。
特に注目されるのが、インテリジェント灌漑システムと言われるものです。世界の農業用水は総水使用量の約7割を占めますがその多くは非効率的です。土壌水分センサーや気象予報と連動して水やりを自動で最適化するスマート灌漑は、この無駄を大幅に削減できるはずです。CAGRは約13%という高い成長率で拡大すると予測されています。日本でも農業用水が過半を占めており、直接的な解決策に繋がります。
水不足が恒常化しているカリフォルニアなどの地域では水先物市場が開始されています。水が石油や金のように金融商品として取引される時代の到来を象徴する出来事ではありますが、強い政治的/倫理的な反発も存在するため大きな政治リスクを内包しています。そのためここではあまり触れないでおきます。
これらのイノベーション分野に共通するのは、水管理がこれまでのダムや運河を建設して供給量を増やす方向性から、テクノロジーを駆使して需要管理と効率最適化へと重心を移している点です。
##投資対象としての水市場
具体的な投資戦略として水市場を考える時、ここまでで触れたようにいくつかの打ち手が思いつきます。
###公益事業という規制に守られた安定性
地域社会に上水・下水サービスを提供する、いわゆる水道公益事業者への投資です。
独占的な地位を認められる代わりに厳格な料金規制を受けるため、ビジネスモデルとして安定性と予見可能性が特徴となります。収益はインフラ投資により拡大する料金算定の基礎となる資産額と、それに基づいて承認される水道料金です。長期的なインカムゲインを求める保守的な投資家向けと言えます。
- American Water Works (AWK)
- Essential Utilities (WTRG)
- California Water Service Group (CWT)
###水革命におけるツルハシとシャベル
水処理、輸送、計測、試験などに必要な機器、技術、サービスを提供する企業への投資です。公益事業者と比較して、より高い成長ポテンシャルを持つ一方で、比較的景気循環の影響を受けやすいです。
####幅広い製品ポートフォリオを持つ総合企業
- Xylem (XYL)
- Pentair (PNR)
####水処理・化学薬品
- Ecolab (ECL)
####ポンプ・流量制御
- IDEX Corporation (IEX)
- Lindsay Corporation (LNN)
####スマート技術
- Badger Meter (BMI)
- Itron (ITRI)
###水関連ETF
水セクター全体に幅広く投資したい場合にはETFがあります。
- Invesco Water Resources ETF (PHO):アメリカの水関連企業に焦点を当てた代表的なバランスETF。
- Invesco Global Water ETF (PIO):PHOのグローバル版ETF。
- First Trust Water ETF (FIW):水の浄化と保全に特化したETF。
今回は日本の水資源事情について考えてみた後、老朽インフラの更新という国内の巨大な需要を基盤としつつ、PFAS対策、海水淡水化、スマートウォーターといった最先端の分野で世界をリードする企業群を擁しているアメリカの水関連企業を何個かピックアップしてみました。水という根源的な社会課題の解決に貢献することで、社会的な価値と経済的なリターンの両方を創出するポテンシャルを秘めている投資分野だと思い、妙味があると考えています。
水セクターは、安定したインカムを提供する公益事業から、高い成長を目指すテクノロジー企業まで存在することが今回調べてみてわかったので、各企業の事業モデルや成長戦略についても深堀していつか調べてみたいと思います。水という21世紀の最も重要な資源、今後のメガトレンドになるポテンシャルがあると私自身は思いましたが、皆さんはいかがでしょうか?