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「飲み会断らない人」批判に感じる日本社会の甘えた思考

「飲み会断らない人」批判に感じる日本社会の甘えた思考

被害者意識が強すぎる

Googleニュースを眺めていると『「飲み会断わる人」じゃダメなのか 双子育てた外資系幹部の反論』という、毎日新聞のニュース記事を見かけました。読んでみるとちょっと被害妄想が過ぎると感じたので考えをまとめてみます。

このニュース記事の概要は、接待を受けて辞任へと発展した山田真貴子・前内閣広報官が過去に公開していた若者向けの動画メッセージにて、以下の発言をしていたことが「時代錯誤」だと批判されている状況と、脅迫めいて聞こえるという大野友嘉子・記者の意見を書いた記事です。

「実績を上げられるプロジェクトに巡り合ったり、あるいは自分にチャンスをくれる人に出会ったり、そういう幸運をみなさん願うと思います。しかし、良いプロジェクトや人に巡り合う確率というのは人によって違います。違いは、どれだけ多くの人に出会い、多くのチャレンジをしているか。イベントやプロジェクトに誘われたら絶対に断らない。まあ、飲み会も断らない。断る人は二度と誘われません。幸運に巡り合う、そういう機会も減っていきます。私自身、仕事ももちろんなんですけれど、飲み会も絶対に断らない女としてやってきました。勉強、プロジェクト、人、多くのものに出会うチャンスを広げていってほしいと思います」

記者はこのメッセージを「山田氏の言葉からは参加しないとチャンスやポストは回ってこないと受け取れる」と書いています。続けて「子育てや介護、持病などで参加できない人はキャリアを諦めなければいけないのだろうか」「暗たんたる気持ちになるし、脅迫めいた言葉にすら感じる」とも。

私の感想

私の感想としては、そう思うのは自由だけれど、それでも記者やこのメッセージを批判している層全体の読解能力を疑ってしまいます。同時に、甘ったれた思考が日本社会に蔓延してしまっている現状を嘆きたくも思ってしまいます。

読解能力が低いのではないか

インターネットという広い世界で SNS などでの様々な主張を見ていると、「私は〇〇という考えです」という発言に対して「〇〇以外の考えは駄目という事か!」と見当違いな怒りをぶち上げている現場をよく見かけます。これは典型的な文意を読み取れない人の思考ですが、今回のニュース記事にも私は同じ香りを感じています。

山田氏の発言に「二度と」というやや強い表現が入っていることは否定しませんが、基本的に事実です。このメッセージが示していることは**「飲み会などの交流を通じて仕事のチャンスが巡ってくることがある」ことと「断る人は断らない人と比べて飲み会という交流の優先度が下がる」**という 2 点です。

多くの仕事は根底では人と人との関わり合いです。社外でも社内でも人間関係が影響してくることは避けられません。仕事を振り分ける人の立場に立って考えれば、人情としてより好感度や信頼度の高い人へより良い仕事を降ってあげたくなるものです。そのパラメータを左右する要素に、飲み会の場での交流が入ってくることがあります。もちろん飲み会の場での振る舞いを考慮しない人もいますが、ここで大事なのは考慮する人がいるということです。

飲み会などでの交流を通じて好感度や信頼度を上下させる人が上の立場であれば、同じ能力であればより交流をしていた人の方がチャンスを掴みやすくなります。そして交流の場を断り続ける人を誘い続けるより、参加し続けてくれる人の方が心理的なハードルとして誘いやすいわけですから、交流の場へ招待されるチャンスも相対的に増加します。

甘ったれた思考の蔓延

日本社会に甘ったれた思考が蔓延しているというと、主語が大きすぎるかもしれません。ただ、全国紙の報じられ方を見るに世論の風潮として動画メッセージに対して批判的な割合が多いように感じるため、あくまでも観測範囲からそう感じていると弁解しておきます。

飲み会を断る人にチャンスを回さないようになるのであれば問題ですが、今回のメッセージでは飲み会を断らない方がよりチャンスが回ってくると主張しているだけです。批判している人たちは「よりチャンスが回ってくる」こと自体に怒っているように感じられ、それが甘ったれた思考だと私は思います。

あなたがそれをしない/しなかったからといって、それをした人たちが優遇されることに批判をするのは傲慢で甘ったれている」というのが私の意見です。

あなたは飲み会に参加したくなかったり、参加できない理由があって参加しなかったのかもしれません。それによって不利益を受けたのであれば怒りは正当と言えますが、飲み会に参加した人がより良い評価を得ることを怒るのは不当です。

人の評価に仕事の能力と仕事以外での行いという 2 つの絶対的な数値があったとして、仕事の能力だけで評価をしてほしいという意見は分かります。それが理想だという事もわかります。しかし実際に人というのは絶対値を見ることはできませんし、2 つの数値の境界はあいまいになりがちです。

理想を追い求めるのもいいですが、理想のぬるま湯につかり続けるのではなく、ちゃんと現実も見ていくべきではないでしょうか。